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 稲牛[いなうし]小(中)学校

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 稲牛[いなうし]小(中)学校    足寄町字稲牛
 大正4年創立、昭和49年3月、45年の歴史に幕を下ろし中足寄小学校に統合した。閉校時の児童は23名、校長は廣田良治氏であった。
昭和27年からは中学校を併設したが、46年閉校、螺湾中学校へ統合した。
:現在校舎は解体され、地域集会所が新築されているが、校舎裏の小高い山や、剪定されたオンコ、1棟だけ残る教員住宅、朽ちかけたブランコに当時の面影を留める。

  統合するに当って   旧職員 亀田 頼良 (43年〜)
 昭和43年4月、雪解けの中、川を眺め猫柳の芽が大きく膨らんでいました。十勝の南部中札内から親子4人での赴任でした。自然の心地よい空気に導かれ、不安の中にも大きな期待もありました。小高い丘に建つ校舎では小学生50数名、中学生30名余りが、きらきら輝く瞳で迎えてくれました。
「皆さんこんにちは、私は亀田です。稲牛は本当に美しい自然環境に恵まれたところです。学校には教具がいっぱい揃っていました。今日から君達と一緒に力を出し合って勉強やスポーツを頑張ろう」と誓い合いました。子ども達は厳しい眼で見つめていましたが、私の話を聞いてほっと心が和らぎ、微笑みが伝わってきました。
 (中略)  赴任して始めての学校行事の遠足は、中足寄までの徒歩でした。道端の花を積み、大声で歌を歌って爽やかでした。夏休みにはオンネト‐で親子キャンプをし、全員登頂の雌阿寒岳で、あの時はみんなで「バンザイ!バンザイ!」を思いっきり叫びました。秋は紅葉映ずる清流で、斑毎に料理を競い合い、美味しい御馳走に舌鼓を打ちました。川から水を救い上げたリンク造りも思い出の一つです。
 ただ一つ、住宅火災に遭い全てが灰になったときは、まさに茫然自失でした。それでも地域の方々の特段の力ぞえで、家族4人再出発できたことも、一生忘れることができません。 (後略)               閉校記念誌「稲牛」より

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