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 上螺湾[かみらわん]小(中)学校

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 上螺湾[かみらわん]小(中)学校  足寄町字螺湾
大正4年部落民有志が12坪半の草葺校舎を建て落成式を挙行した。学童6名の私設教育所であったが、翌年上螺湾特別教授場として認可された。以後50有余年、多くの地域の人材を輩出したが、昭和45年3月閉校し、螺湾小学校へ統合した。閉校時の児童は20名、校長は右谷良三氏であった。本校は昭和26年から39年まで中学校を併設したが、螺湾中学校へ統合した。

  寂しさをのりこえて   学校長 右谷 良三 (43〜)
 生気に満ちた春の喜びが、厳しい冬の寒さを絶えた後に一層感じられる様に、そして厳しい陣痛を経て、時代を担う子どもの誕生の感動がある様に、この度校下父母の皆さんが自らの感情を乗り越え、50有余念の長きに亘る尽きせぬ思い出を残して、上螺湾小学校の統合が決定しました。 (中略)
 爾来幾多の星霜を経て、当時は現今からはおよそ創造ができ難い不便な環境にありながら、初代中井直正校長を始め、歴代の校長、教員、校下の方々の教育に対する熱意は、幾多の苦労を重ねながらも、次々と困難を克服されたのであります。
 現在の上螺湾小学校は、過去に於ける数多くの人々の苦労に報いるが如く、関係各位の御努力により、小規模校としては施設設備においてかなりの充実度を示すに至りました。しかしながら高地であり、狭隔であるこの地での農業経営にも限界があり、離農者も増加し、児童数も減少の一途を辿って参りました。 日々進歩発展する世界情勢の中で、日本の教育もまたそれに即応するものでなくてはなりません。児童の全人的育成を目指し、より高い教育の効率を願って統合を決議された本校は、いわば発展的閉校とも申せましょう。尽きせぬ思い出の数々、拭いきれない愛着は心中余りあるものと存じます。皆様がこの深い感傷を乗り越え、一に将来の子どもの幸福を優先させられた事に心から敬意を表するものであります。              閉校記念誌より

 阿寒硫黄鉱山小学校   足寄町字茂足寄
 鉱山従業員の子息のため、茂足寄小学校の分校として昭和30年開校。33年には児童数も増え(20名程度)独立校となった。昭和41年3月、11年の短い学校の歴史を閉じ、茂足寄小学校へ統合した。
 閉校時の児童は1名、校長は及川隆治氏であった。

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