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 茂喜登牛[もきとうし]小(中)学校

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茂喜登牛[もきとうし]小(中)学校  足寄町喜登牛584
 昭和22年創立。敗戦の混乱と窮乱の中に満州の開拓移民より帰国した人々が、昭和21年旧軍馬補充部放牧場の開放により集団入植し、海抜370mのこの地に開拓の鍬が下ろされた。当時道路もなく、馬の歩いた跡を笹を分け草を踏んで喜登牛小学校まで通学した。人々の願いが叶い22年分校として現在地に開校。昭和45年3月閉校、23年の校史を閉じ芽登小学校へ統合した。閉校時の児童は32名、校長は三田村勲氏であった。昭和26年中学校を併設、同44年3月芽登中学校へ統合した。
現在校舎は開拓記念館として使用している。

  記念誌に寄せて   現教諭 深井 利夫 (43〜)
 鈴蘭香る高原に,いばらの道を切り開いて建てた校舎。
 前年度の中学校に引き続き、小学校も20余年の輝かしい歴史に幕を引く事になりました。あらゆる困難を乗り越え、後継者の教育を合言葉に、見事な校舎になったのもつかの間でした。時の流れは過疎化に追い討ちをかけ、2世への過渡期が児童数の減少に繋がりました。文化の中心として、茂喜登牛の象徴として輝きつづけた学校が廃校になるとは……。残念の極みです。 (中略)
 統合について、一人一人は賛成する者はいないでしょう。反面、統合先の芽登小学校を思うとき、恵まれた校舎と、大勢の友達との交わりの中で学ぶ、新たな期待に胸を膨らませている子ども達の様子も垣間見る事ができます。
 閉校を迎えた、最後の小学校に勤務する教員となりました。何事にも諦めず小人数でもまとめあげました。夏の暑さ、冬の寒気に負けず、毎日4k以上の難路をヘイともせず通いとおした精神力や体力。このエネルギーは新しい学校でも、生きるものと信じています。 校名は消えても、この地で、この学校で培われた教師と子ども、級友や同窓生の結びつきは永遠に残る事でしょう。      
    閉校記念誌より

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