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 東台小(中)学校

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 東台小(中)学校   池田町字東台431
明治37年創立、昭和61年3月、81年の歴史に幕を降ろし池田小学校へ統合した。卒業生は830名、閉校時の児童は5名、校長は須田敏雄氏であった。本校は昭和24年から41年まで中学校を併設した。閉校時の生徒は41名である。
校舎前に「東台の灯は消.えず」の碑を建立。碑文は第13代校長須田敏雄氏、揮毫は池田町長石井明氏である。昭和55年から子どもカーリングを学習に取入れた。また57スピードスケート1000mで全国優勝者を輩出、沖縄読谷村との児童交流会に参加し視野を広げた。


 眼を閉じて想う    旧職員  天野 勝夫 (20年代在任)
 学校着任、職員は校長先生御夫妻と私。住宅は一部屋で、照明はランプ一つ、ランプは周りは明るいが、部屋の中の方は暗い、まるで熊の穴にでも入っている感じ。東台の子ども達は、ランプの石油さしとホヤ磨きの手伝いを良くしてくれた。自炊なので街へ1週間の食料買出し、日用品はただ1軒の川辺商店で調達する。この店がまた客の溜まり場で、私もジサマ達から将棋の手ほどきを受ける。
 この店の前が四辻で、池田へ通じる大きな道と、毛根別の道と、姉別の道とが出合うので、時に立ち止まって、4つの道を見まわしたものだ。立派な水田があり、畑があって山林がある。炭を焼く煙がそちこちに立ち昇り、この地を開いた人々の苦労が偲ばれる。それを受け継いで、今も黙々と仕事に励む人々の希望は、やはり子ども達の教育だったのかもしれない。学童達はまじめで働き者、分かっても分からなくても、私の顔を見ながら、話を聞いてくれたあの顔この顔が目に浮かぶ。ゲンコツをやると涙をためた子、でも目が合うと人懐こい笑顔を浮かべた。ゲンコツごめんね (中略)
 当時の子ども達、もうオジンオバンになったかな……と指を折る。学びの里が無くなるのは淋しいね。               閉校記念誌より

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