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豊岡小学校

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豊岡小学校   上士幌町上音更西5線
昭和10年創立、同57年3月、48年の歴史に幕を閉じ上音更小学校に統合した。
卒業生182名、閉校時の児童は6名、校長は林剛氏であった。
校舎入り口に「郷校」風雪48年の碑が建立されている。
昭和22年北海道単級教育研究会会場校、同45年から近隣校との集合学習を積極的に推進した。また昭和48年からは、士幌・上士幌広域交流合同学習を行い注目された。


「おかの子」と過ごした4年間 第6代校長 小木 馨 (45〜48)
 東大雪の麓、標高400mの山ふところ、サンケウオップの清冽な流れのほとり、豊岡での4年間の生活は、私や家族にとって、汲めども尽きぬ好き想い出の地である。
 昭和45年豪雪の年、南の猟師町の中学校から、150k離れた豊岡を訪れた最初の印象は、「地の果てにも学校があるのだなあ」と言う想いであった。上士幌から10分ぐらいと教えられたが、行けども行けども道の両端は雪の壁、人家一つ見当たらず、目に映るのは前方の抜天山のみ、やがて柏林から学校が散見され、ほっと胸をなでおろした。(中略
 赴任時は過去40軒もあった戸数が教員も含めて16戸、最盛時に39人も居た児童が12名(7戸)、しかも将来営農を続ける戸数は4戸と言う現状、統合は過疎の歯止めとして許されない。子供がいなくなるまで、地域が決めるまで学校はある。最初に考えた事が、いま全道や十勝で行われている集合学習であった。士幌町を含めて6校の同意を得、全道、十勝に先駆けて3年目に実施の運びとなった。それに対応して、40分で7単位の日課表の工夫や、集会室の新築を始め、リンクの照明、散水設備、、カラーテレビの導入、石油ストーブへの切り替え、婦人学級の夜間生け花教室など可能な限りの試みをさせて頂いた。家族ぐるみの交際が今も続く、鈴木勲、博先生、角田先生とよい先生方にも恵まれた。    閉校記念誌「おかの子」より

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