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大豊小学校

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 大豊小学校   幕別町字大豊230
昭和22年創立、昭和53年3月、31年の校史に幕を降ろし幕別小学校へ統合した。閉校時の児童は15名、校長は寺田伊作氏であった。現在校舎は解体され、大豊近隣センターが新築されているが、同窓生一同による「教育拓道」の碑が建立されている。
この地帯は昭和20年頃より、旧軍人の開拓地として脚光を浴び戸数も増加した。校舎は軍隊の馬小屋を改造したものだったが、昭和33年ブロック造り校舎が完成した。

 大豊の6年間   旧職員 大石 迪也 (41〜46)
 (前略) 思えば雪解けの泥水と、残雪の悪路を、あの大型車があえぎながら坂を登る。その後から赴任した事を思い出します。住宅から遠く離れたところで車がストップし、そこから荷物を運んで頂いたのも懐かしい思い出てす。
 始めて経験した複式の授業、妻と慣れない手つきで作った野菜、大雪の除雪、屋根の雪降ろしなど、何から何まで新しい経験と苦しさがありました。でも、苦しい事ばかりではありません。おりにつけて部落の人達が学校に集まり、部落の事、学校の事、子供達のことについて話題に花を咲かせました。はきはきと、素直でたくましかった子供たちとの出会いは、今も忘れる事はできません。(後略)

 閉校にあたって   旧職員 西田 貞夫 (40〜45)
 (前略) 私にとって生涯忘れる事ができない大豊小学校。それは昭和40年12月の結婚、43、44年の妻の病気、そしてたった一人の子供の誕生があるからです。
(中略)私が転出後も気にかかっていることが一つありました。それは屋体の事です。軍の馬小屋を解体して持ってきた大きな建物には、床がありませんでした。教育委員会に話しても床張りが実現しませんでした。「キリストは馬小屋で生れた。皆は同じ馬小屋で学んでいる。頑張れよ」苦しい激励でした。  閉校誌「おおとよ」より


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