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上芽室小学校

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芽室町上芽室西16線
明治37年創立、昭和51年72年の歴史を閉じ、新設の芽室西小学校に統合した。
閉校時の児童は12名、校長は川口幸一氏であった。昭和31年まで御影村、その後
1時清水町に所属したが、町村合併の余波を受け、昭和33年芽室町に編入された。
昭和48年開校70周年記念式典を行い、記念碑を建立した。揮毫は芽室町長中原孝一氏である。廃校後校舎を解体、地域福祉館とし体育館は残す。

      

  在勤中の思い出   旧職員 内藤 喜久雄 (昭和41年〜46年)
 久山川と芽室川の清流にはさまれるように広がる大地、西に日高の秀峯を望み、中でもひときわ目立つ剣山は、時間や季節によって変化する姿が格別です。また、校庭の一角から泉が湧き、夏は深い緑に囲まれる。自然いっぱいの上芽室小学校に赴任したのは昭和41年4月でした。
 当時は大部分の教員が変わり、一緒に赴任された石原校長を中心に、秘めたる子どもの可能性を発掘するに相応しい環境作りに、心を砕きました。教師も子どもも床の掃除、壁のペンキ塗り、校庭の草削りや整地など、教育以前の仕事から始まりました。
そして、恵まれた自然環境を生かすべく、科学庭園や花壇の造成、教材園、野草園、温室、飼育小屋など、理科教育に結びついた施設作りに励みました。また、小規模校の子ども達に自信を持たせるために、体力作りコーナーを父母一緒に作りました。
 こうした活動は、子どもの勤労意欲に繋がり、物を大切にする態度が身についていきました。
 『なすことによって学ぶ』この実践的な教育目標こそ、なまけものの私の心をゆりうごかしてくれました。石原校長先生のエネルギッシュな教育姿勢にも、心をひかれ教師として貴重な経験をさせて頂きました。一緒に活動した子ども達の顔が目に浮かびます。上芽室地域の益々の御発展を祈念しています。
                       開校70周年記念誌より

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