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上帯広小学校 

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上帯広小学校    帯広市上帯広町西1線
治40年創立、昭和54年3月、73年の校史に幕を降ろし新川西小学校へ統合した。卒業生は1855名、閉校時の児童は42名、校長は木繁雄氏であった。
校門横に「拓魂」の碑を建立、揮毫は帯広市長田本憲吾である。
昭和32年帯広市立上帯広小学校と改称、校歌を制定した。また児童製作の豆のモザイクをNHK・帯広図書館に寄贈した。
現在校舎は知的障害者施設「光り園」に活用されている。

 思い出の母校   第40回卒業生 大野 邦雄
親子3代、長い年月にわたりお世話になった我が母校の火が消えることは、耐えがたい寂しさであり、感傷的になるなといってもそれは無理と言うものです。
(中略) いま思い起こすと、私は昭和20年の入学、それは終戦の年でもありました。食料も衣服も満足なものは何一つありませんでした。鞄もなく風呂敷包みか布袋が代用で、私などは父が作ってくれた木製のランドセルでした。靴も手ごろなものがなく、大人用のものを引きずって歩いていました。それだけに雪解けのぬかる道では、何回も転んで足を捕られ、泥だらけになって、必死の思いで登下校したことが度々でした。また夏には平べったい下駄や、とうきびの皮で作った草履で、カラカラベタベタと登校し、廊下、教室などでは上靴も履かず素足で通したものでした。
 何といっても忘れ難い思い出は運動会です。バトンクラブがあって、ドラム、トランペット、クラリネットなど数々の楽器が全て物珍しく、競技の最中に「もしもしかめよ……」の曲が、会場一杯に鳴り響き、しかも生演奏でしたから、それは盛大なものでした。並居る家族の人達がぐるりとグラウンドを取り囲み、「がんばれ ! それ頑張れ!」と夢中でした。何もかも忘れて競技に熱中し、先生も生徒も声を枯らし、大声を張り上げて一日が暮れました。(後略)
                 閉校記念誌「かみおびひろ」より

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