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上然別小(中)学校 

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 上然別小(中)学校   音更町字上然別西4線
明治42年創立、平成14年3月、93年の歴史に幕を閉じ、駒場小学校に統合した.閉校時の児童は11名、校長は二つ山智氏であった。途中中学校を併設したが、昭和49年3月閉校、音更中学校に統合した。   最後の一年は「記憶と記録に残る思い出作り」を目標に地域ぐるみの空き缶拾いや、記念コンサート、中でも11人の児童が主役になり、自然な感情から動きを作る「ドラマワークショップ」を取入れた劇で「昔の遊び」を表現した。閉校後の校舎は集団宿泊施設として活用されている。


 赴任当時の思い出   旧職員 大野 嘉久 (39〜44 在職)
(前略)  さて、赴任した年には二つの大きな出来事がありました。
 それは冷夏に加え、強い早霜による凶作の年でした。確か9月25日頃だったと思います。まだ未熟な大豆・小豆は壊滅状態、水田の被害も大きかった様です。当時の中村校長を始め先生方も心配して、家庭訪問を実施しました。
 冷害の年は農作物ばかりでなく、野山の実りも悪いらしく、ねずみ、どぶねずみなどが我が家にも入りこみ、食料品や衣類など多くの被害を被りました。仕掛けた鼠捕り籠で30数匹生け捕り、校庭で飼育していたトンビの餌に役立てたものです。
 もう一つは、東京オリンピック大会が開かれた年。夢中でテレビ中継を見ました。またこの年、上然小は始めて6学級となり、職員増による住宅不足、住宅の補修など、西島PT会長さんには大変お世話になりました。 その他、スケートリンクの造成では、午前1時頃までの散水も度々で、ついついジンギスカンと焼酎の飲み過ぎで、次の日の授業に差し支えたことも忘れられない思い出です。(中略)
 「水良し、空気良し、人良し(人情深い)」の三拍子揃った上然別は「心の故郷」として忘れることは出来ません。    開校80周年記念誌より

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