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 協和中学校

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 協和中学校   音更町中士幌4線
こ歴史に幕 昭和27年創立、昭和50年3月、24年の閉じ音更中学校へ統合した。閉校時の生徒数は62名、校長は藤家博氏であった。
通学区は豊田小、東士幌小、南中士幌小である。昭和30年代、全国学校林コンクール、林業研究発表で優勝。愛鳥全国実践発表で文部大臣賞受賞等の校歴がある。
現在校舎は東平和区会館に利用されている。

 思い出の協和中   旧職員 竹田 正二 (昭和28年〜33年)
 昭和28年3月、大雪が降った後の寒い日、国道241号線を満員バスに揺られて赴任する。ところが道不案内のため、降りる停留所を間違え、3時間歩き通して学校にたどり着いた。そこは私の恩師、初代校長奥野先生の赴任先、先生にお会いしたあの嬉しさと安堵の思いは、今も忘れる事は出来ない。(中略)
 畑の畝がはっきりと残っている校庭を、教師も生徒も、そして父兄も共に汗を流して整地したあの時の勤労の尊さ、協力することの大切さを学び、愛校の精神が自然に培われていった。文化活動の芽生えであった演劇部の結成とその活動は、教師と生徒の信頼と理解を一層深めた。農業試験畑、植林地の手入れ、植物標本園、苗圃、椎茸の栽培、兎の飼育等々、企画から造成、作業、収穫の過程の中で、教師と生徒の努力はもとより、校下の人々の協力が協和中学校を、管内に類を見ない素晴らしい中学校へ成長させていった。
 恩師奥野先生は常に「勤労を通じての人作り」を説かれました。働く事の喜びを通じて人を知り、自己を知り、社会を知る。協和中学校での6年間の経験は、野久先輩の御指導と共に、私を育て励ましてくれた原動力になった。学校は消えても、私の心には「協和魂」がいまも生き続けている。      協和中閉校記念誌より

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