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新然別小学校

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新然別小学校   鹿追町字新然別西11線
 大正11年創立、昭和44年3月、47年の歴史に幕を閉じ鹿追小学校へ統合した。
卒業生は484名、閉校時の児童は29名、校長は小野忠平氏であった。音更町との境界に位置し高台から遠望する「夫婦山」(東西ヌプカウシヌプリ)は絶景である。しかし、厳しい自然環境の中にあって冷害に度々見舞われ、昭和32年、40年には各種団体からの見舞金、援助物資の供給があり、自校給食が開始された。


   林校長、雲田校長の思いで 
 (前略) 大正15年に赴任した林国男校長の時計台建設は十勝でも有名である。その頃まだ誰も腕時計など持たず、時刻には不便を感じていた。そこで林校長は青年たちと相談して、堤防用地から90p角、3mほどの長さの木を払い下げて時計搭を作り、これに自転車のパンク修理用具までつけて、通行人の便宜を図った。時計搭の時間を正確に合わせておくために、林校長は毎日1回時刻合わせにここを訪れた。この善行に対し、昭和4年6月10日、時の記念日を記して表彰を受けた。
 なお時計搭には「正しい時刻に近い時計であります」と書かれていたというのも面白い。また、パンク修理用具を利用した人から、度々礼状が届いたと言うが、街まで8kもあるところからすると感謝の気持も分かるのである。
 また水ではこの学校も苦労している。昭和37年から4年在職した雲田校長は、冬期間水枯れする井戸、雪解け、大雨の後の汚水で飲料水にも事欠く有様、心配しながら使っていた小川の水も、雨が降るたびに濁り、隣家まで貰いに行かなければならなかった。ようやく簡易水道を設けたが、3日と絶たぬ内に故障を起こす始末。教育委員会へ行くと「校長また水か」と言われ、町長はついに掘抜き井戸を計画したがこれも失敗に終わった。しかし閉校の頃水道が完成し、「水の苦労がなくなると同時に閉校になった」と当時を偲んだ。        鹿追町史より

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