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上富村牛小中学校

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上富村牛小中学校   新得町字屈足上トムラウシ
昭和28年創立、昭和51年3月、23年の歴史に幕を閉じ富村牛小中学校に統合した。閉校時の小学生5名、中学生3名、校長は山本瑞棋氏であった。
校舎南側に住民有志の手で「大原始林開拓苦闘の碑」が建立されている。昭和37年7月、十勝岳爆発の被害に遭い、全員が屈足市街に避難し、約40日間屈足高校を仮校舎として共同生活をした。
昭和39年自家発電の設備を整え、同時に完全給食体制として、毎日温かい食事を提供した。
新得駅から45キロ、管内では数少ない僻地4級に指定されていた。
 
十勝岳の爆発     浅野 五郎
 ドドドドドッ…と不気味な音、北西の空が今まで見た事もないような黒雲に覆われ、地獄を思わせるすざましさで私達を襲ってきた。昭和37年6月30日朝の出来事であった。
 地面は一面に火山灰が積もり、草や木がその重みで大きくしおれ、今にも折れそうであった。牧草地も一面の火山灰に覆われ、牛に食べさせる草も皆無の状態でした。3日後、町が対策してくれた自衛隊の車で、岩松の牧場に育成牛と馬を、搾乳牛と豚,鶏は新得種畜場にお世話になり、農家が交代で搾乳や管理をする事になりました。また、地域住民も亜硫酸ガスがひどくなり、人体への影響が心配されたため、屈足南小学校体育館に全員避難して共同生活となりました。 唯一救いだったことは、避難中に集中豪雨が降り、火山灰が流された事が不幸中の幸いでした。
 この十勝岳の大爆発はマスコミによって全国に知れ渡り、ライオンズクラブや宗教団体を始め、全国各地の方々から心温まる援助物資や見舞い金が送られてきました。新得や屈足の方々の援農にも助けられました。避難して1ヶ月余り、人の心の温かさをしみじみ感じさせられました
 トムラウシ地域は、以後爆発の打撃によって離農者が続出し、過疎化の引き金になって行きました。(後略)      トムラウシ開拓40年記念

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