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金沢への「集団里子」出発状況

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ト金沢への「集団里子」出発状況   
光地園小 仁井教諭の日記より

 昭和40年1月8日金沢へ出発。
 雪がちらちら降る朝、学校に6時40分集合し、7時出発した。役場のマイクロバスにのり、家族と手を振って分かれ、1月から3月まで生活することになった子ども達を、無事金沢の里親に送るのが私の役目だ。雪の降り方が次第に強くなる中、大樹駅まで40分で到着した。
駅前には町長、教育長など多数の見送りがある。いよいよ汽車は大樹駅を離れる。送られる子供たち、そして送る親たちの心境はどんなに辛いものがあるだろう。これは修学旅行ではないのだ。
 一番幼いT君が咳ばかりしている。列車は満員である。帯広駅で十勝支庁長、教育局長の挨拶を受ける。始め学生達と騒いでいた子供たちも、新得を過ぎ、狩勝峠を越える頃から口数も少なくなってきた。外ばかり見ている者、黙って本を読む者、家から持ってきたみかんを大事そうに食べる者様々である。やはり家が恋しいのか……。
 1月8日夜函館に着き、駅前で夕食をとり、旅館を探したがどこも満員で泊まれない。連絡船の欠航で4千人が駅に足止めを食っているという。それで意を決し、函館駅長に直接会い、事情を話して旅館の手配を頼んだ。駅長の好意で鉄道関係の宿泊所をお世話戴いたが、10名ほどの部屋である。それでも風呂に入り、重なり合って床に着いたのは11時を過ぎていた。明日連絡船は出るのだろうか。
 1月9日午前10時頃、連絡船の就航をテレビで見、すぐ支度をして駅に急ぐ。駅は昨夜からの欠航でいらだった乗客が、お構いなく改札口に殺到する。それでも何とかもぐりこむことができた。生れて始めての船の旅、しかも昨夜来の悪天候で船は大きく揺れる。頭痛を訴える子供、もどす子供、不安がますます大きくなっていくようだ。
 1月10日、青森で一泊した後急行で金沢に向う。「全員元気」色々なことがあったがとにかく学校へ電報を打つ。16時20分、汽車からホームを見ると、里親になる人、学生、テレビや新聞社のカメラマンなど百数十人の人達が、群れを作るように私達を待ち構えている。
学生がマイクで整理をしている。ホームで子供の代表に挨拶させ、北海道の先生として私も挨拶をする。その後駅長室で記者達に囲まれる。
 冷害という自然災害がもたらした貧困。ともかく金沢大学のご好意で「集団里子」が実現し、3ヶ月の貴重な体験を子ども達はすることになる。
 3月14日全員無事帰省、しかし大雪で大樹に一泊するおまけをつけて、翌日光地園に帰校、ここにもNHKをはじめとする各報道機関のフラッシュが待ち構えていた。

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