長節[ちょうぶし]小(中)学校 豊頃町字長節基線20 明治36年創立、昭和54年3月、76年の歴史に幕を閉じ大津小学校へ統合した。卒擬陽性は327名、閉校時の児童は8名、校長は千葉昭夫氏であった。校舎は解体されたが「拓 道」の碑を建立、揮毫は編田久義氏である。昭和33年より44年まで中学校を併設した。 本校は豊頃駅より32kの遠隔地にあり、管内でも数少ない僻地5級地(47年より4級地)、厳しい自然条件と共に山火事による類焼、失火、地震被害等の災害に遭遇した。 丹頂鶴の一斉調査、小山教諭を中心にした器楽指導などで子ども達に自信をつけた。 長節小学校の思い出 旧職員 小林 正彦 (45〜) 私より1年先に、上士幌小学校より佐藤校長小山先生が着任しており、とても心強かった。赴任して4日目の夕方、いつも聞こえる波の音とは違う異様な音が気になり、外を見ると、どこから流れてくるのか水、水、水、校庭、住宅の回り、道路一面が水浸しです。道路にうずたかく積もった雪の壁にはけ口をふさがれ、見る見る物置の床上にまで浸水してきたのです。「火事場の馬鹿力」と言うのでしょうか。懸命に引越し荷物を住宅に運んだのでした。 僻地5級の洗礼はその他にも、台湾坊士のドカ雪、雪解けの泥酔、大雨ごとの川の氾濫と6年間自然の猛威に悩まされました。 僻地、僻地、僻地、ここ長節の地は僻地であろうとも「この小学校に通学する子供の心に僻地はあってはならない」。朝の集い、丹頂タイム、大津小との合同学習、自主公開研、道理科センターとの交流……。私なりに心血を注いだ教育活動は未来永劫忘れることはありません。(後略) 閉校記念誌より ガッタンゴットンガッタンゴットン/ どろんこ道 大津までは遠い/ ガッタンゴットンガッタンゴットン ちいちやんはばあちゃんの/ 胸の中 ガッタンゴットンガッタンゴットンは子守唄 じいちゃんの話しはつづく/ 汗と涙のにじんだ道がつづく道がつづく 馬車の車輪に刻印された唄 |
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